桑太郎と桑次郎。
幼なじみの2人が、シマ桑に託す島の未来

役場から始まった、シマ桑事業
今、わたしたちサンジキで受託している桑の栽培・加工事業は、もとは沖永良部島の知名町役場が中心になってスタートしました。島の農産物の6次化を進めるための作物として、栄養価が高く、飲みやすいシマ桑が選ばれたのです。
その役場担当の3代目に就いたのが、吉田雄輝(よしだ・ゆうき)さん。
吉田さんが役場に就職した翌年の2021年のことでした。
知名町で桑の事業が始まったのは、2012年。吉田さんが担当になったとき、すでに10年近くが経っていました。

計画時に予定したほどの売り上げはまだ立っておらず、吉田さんは担当者として「頑張って営業するぞ」と気合を入れる一方で、周囲からは「いつまで続けるんだ」「もう事業をやめたほうがいいんじゃないか」と心ない声をかけられることもあったのだそう。
孤軍奮闘するなかで感じたのは、どうしても越えられない、公的な立場で事業をする難しさでした。
「役場はやっぱり、利益を追求する場ではないので。財源になって事業の立ち上げを支援するのはすごくいいことだと思うんですけど、事業を広げていくには、柔軟性に欠ける面や制限があるんです。限界を感じていました」
同時に、展示会などで販売するたびに感じたのは「シマ桑」の可能性。
「ほんとうにいいものなんだなってことが、売りながらよりわかってきたんです。血圧が高かった方が実際に下がったと喜んでくれたり、カフェインが入っていないので妊婦さんにも飲んでもらえたり。お客さんに教えてもらいました」

桑太郎と桑次郎、黒字化への奮闘
せっかくいい品なのだから、もっと多くの人に届けたい。
そう考えた吉田さんは、桑の事業を役場から民間へ委託する道を探るようになります。
「そのためには、ひとまずなんとか事業を黒字化しなければならないと考えたんです。まずは島の人たちにもっと飲んでもらえるように、月1回は島のどこかでイベント販売をすることに決めました。自分自身が営業を学ぶ意味もありました」
そうして生まれたのが「桑太郎」です。
吉田さんは自ら「桑太郎」となって、島内での販売を始めていきます。

一方で、吉田さんには20年来の幼馴染がいました。当時、島へUターンで戻ってきたばかりの窪田貴史(くぼた・たかふみ)さん。いまや桑の事業を率いる、サンジキの代表です。
「ユウキ」「タカフミ」と呼び合う2人は、身長こそデコボココンビですが、ことばはなくとも信頼し合える同士。
沖永良部島のまちづくりや、若い人たちのネットワークを支える「一般社団法人シマスキ」を立ち上げ、ともに活動する仲間でもあります。
島へ戻ってきて、桑の加工場を手伝い始めた窪田さんも、吉田さんが何とか盛り上げようとする桑の事業に協力するようになっていきます。
ほどなく島内のイベントには、吉田さんの「桑太郎」だけでなく、窪田さんの「桑次郎」の姿も見られるように。2人してシマ桑をアピールしてまわりました。
「道を歩いていると、島の子どもたちに『あ、桑太郎だ!』『桑次郎だ!』って呼ばれるんですよ。俺のイメージどうなるのって思いましたけど(笑)。とにかく桑を民間事業者に委託するためになんとか黒字を目指そうってユウキと話して」

2人が目指したのは、わずかであっても、何とか桑の事業を黒字にすること。
「試行錯誤して売って、最後にはシマ桑と島の産物のじゃがいもをセット販売したりして。島の人たちがものすごく応援してくれました。島外にも買ってくれる人たちができて、売上がどんどん伸びていったんです。おかげで2023年には黒字化を達成することができました」

目先の利益より、島のために選んだ道
黒字化したのち、島外の民間企業に事業を委託する話なども持ち上がりましたが、最終局面で「待った」をかけたのも吉田さんでした。
「うまく言葉にできないんですけど、シマ桑の事業の将来を思い描いたとき、もしかしたら島外に委託するのは違うのかもしれないと思ったんです。島内で生産から加工販売まで一貫して行うほうが、長い目でみると島のためになる。俺らが思い描く事業のかたちはそちらの方が近いんじゃないかと直感的に思いました」
委託先のめどは立っていて、窪田さんはそこの社員になる方向で話が決まりかけていました。それにもかかわらず吉田さんが待ったをかけたとき、窪田さんは「頭では理解できたけど、心が追いつかなかった」と当時をふり返ります。
それでも「ユウキがそう言うなら」と島外への民間委託を断念。

「やっぱり、お前がやるのが一番いいんじゃないか」
2023年、ついに吉田さんにそういわれた時、窪田さんは起業する腹を決めます。
桑の事業を通して実現したい、島の未来
窪田さんは話します。
「今思えば、ユウキの選択は間違っていなかったのかなと思うんです。根底にある思いは2人とも同じで。僕らの島には、若い人たちが帰ってきてできる仕事が少ないんですね。役場の職員か、親が農業していたら農業を継ぐこともできるし、土木の会社を継いだりできますけど、それ以外の選択肢は少なくて。だから、もしこの桑の事業を成長させることができたら、Uターン者を受け入れられる土壌になるかなって。それをつくりたい。それがいまの自分のミッションかなと思っています」
展示会などに出向いて実際にお客さんと接するなかで、シマ桑への手応えも感じています。沖永良部島の恵みをたっぷり吸収して育った桑を、都会で忙しく働く、島出身の同世代も含めて、一人でも多くの人に届けたい。いまはそんな思いです。
吉田さんが役場内で異動になった後、いまは2人の後輩でもある武元さんが、農林課の桑事業担当として応援してくれています。現在はサンジキが委託事業として請け負っていますが、2027年からは独立して完全民間の事業として独り立ちする予定です。
「タカフミがやると決めたので、いまはもうフルで応援するつもりです。でも結局俺ら、桑に限らず何をやっていても、自分たちも楽しみながら島のためにやっていたんじゃないかなと思うんですよね」(吉田さん)
「わかる。ユウキは役場に入ったんですけど、僕は桑に限らず、置かれた環境のなかで、少しでも島に貢献できるならやっていたかなと思っていて。
僕らは島が好きだし可能性も感じています。でもそれと同じくらい危機感も感じていて。だから若者がこの島でも挑戦できるようにしたい。挑戦しやすい島にしていきたいんです。
ユウキが行政で活躍して、僕が民間で頑張る。その姿を見てくれた若い子たちが『島に帰りたい』『島で挑戦してみたい』と思ってくれたらうれしい。僕らが、そのかけ橋になれたらいいなと思っています」(窪田さん)

