シマ桑の栽培を支えてきた、
清水さんご夫妻

先輩たちから始まったシマ桑の生産

今でこそシマ桑は、わたしたちサンジキのメンバーで栽培していますが、これまでに生産を支えてきてくださった先輩方が何人もいます。

なかでも、つい最近まで桑の栽培の要(かなめ)だったのが、清水東順(ひがじゅん)さん、文代(ふみよ)さんご夫妻。

みんなから「ひがじゅんさん」「ふみよさん」と呼ばれ、わたしたちも親しくさせていただいているお2人です。いつも仲良く一緒にいらっしゃるので、お会いするたびに元気をいただいています。

「島を盛り上げよう」から始まった初期

お2人とも、沖永良部島の生まれ育ち。長年、バレイショ(じゃがいも)やサトウキビ、マンゴーなどを栽培してこられました。

なぜシマ桑の生産にたずさわることになったのでしょうか。

「はじめはこれを島の産業として盛り上げようという話から始まったんです。みんなで協力し合って、よく集まって話し合いもしたりしてね」(東順さん)

沖永良部島ではバレイショやサトウキビ、マンゴーなどの栽培が盛んですが、6次産業化できる作物として、「からだにいい」と評判のシマ桑が選ばれたのです。

つい昨年まで、清水さん夫妻は約2反の畑で桑を栽培し、シマ桑青汁の製造に必要な原料の約5〜6割を供給してくださっていました。

若い人たちの本気を感じて

わたしたちの知る東順さんは、70代になってからも、運動会の選手としてや、グランドゴルフで活躍し、桑づくりも畑仕事もまだまだ現役……という驚くほど元気な方です。
文代さんも「元気がありすぎて困るから、ちょっと疲れたくらいの東順がちょうどいい」と笑って話すほどの働き者です。

そんな東順さんでも、無農薬で桑を栽培するのは大変だったそう。

「JASやから農薬は使えんしね、化学肥料も使わないから。4〜5月の春先に、ツルサルハムシというのが出て新芽を食い荒らすんです。虫をとるのも手間ひまがかかってね。夏場はとくにきついね。暑かったり、雨があったり、風があったりで」(東順さん)

桑の事業も初めから計画どおりにはいかず、計画時より安価な価格で始まるなど、決して楽な道ではありませんでした。

「効率は悪いけど、手作業のほうがどうしてもきれいに仕上がるから、手をかけたりしてね」と文代さん。

採算は合わなくても、島の産業づくりを応援したいという思いで、ずっと栽培を続けてこられたお2人。

「わたしたちがやめたら、もう桑工場がつぶれるような状態になるからと思って。それは心苦しいし。その後、若い人たちが本気で引き継ごうとしていることが伝わってきて。一生懸命にやってくれているから。なんとかできるところまで応援しようと、2人で続けてきたんです」(文代さん)

長年見てきた2人が語る、シマ桑の魅力

「でもほんとうにいいものだと思うんですよ、桑って。とくに知名町のシマ桑は見た目もきれいだけど、飲んだらわかるんです。ほかのところの桑は喉にざらっとくるけど、ここのシマ桑は癖もないし、飲みやすい。すっと入ってきます。ほかのところのは知名町のには勝てないなって」(文代さん)

さらに教えてくれたのは、かつて島では養蚕(ようさん)が盛んだったということ。

「私たちが小さい頃は、どこの家にもお蚕(かいこ)がいたよ」(文代さん)

茅葺き屋根の家の一角にカゴを吊るしてお蚕を飼い、桑を枝ごと切って餌として与えていたのだそう。その蚕の糸がひときわ強く、光沢があったことを東順さんもよく覚えています。

「桑だけを食べて育った蚕の繭がすごくきれいでね。ああいう成分が含まれているってことは、人の体にもいいやろうなと思いますよね」(東順さん)

「やっぱり血圧が安定したり、便通がよくなったりっていうのがありますね。続けるのが大事ですね」(文代さん)

いまは、シマ桑を福岡の親戚や知り合いに、定期的に送っているのだそう。

「年に3回は送るかな。なくなる前に必ず連絡がくるんですよ。粉末を5袋とかね。やっぱり飲んでいると体の調子がいいんだろうね」(文代さん)

シマ桑の話になると、話は尽きません。

それほど愛情をもってシマ桑の仕事を支えてきてくださったお2人に、わたしたちは頭が上がりません。
今でこそ桑の栽培からは卒業されましたが、いつも温かく見守ってくださっています。
これからも頼りにさせていただきたいご夫妻です。

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